3年前に私がベトナムの国を訪れる機会があり、ベトナムの国で学びながら仕事をして、ある程度の時間が過ぎつつ生活の基盤が定まり、私が妻子を得たときから現在までに、私はこの「太陽と熱帯の風の吹くの国」で多くに興味深い事由を見聞した。
私が特別に感じた事は、日本とベトナムの双方の国での幼児教育に対する姿勢と環境が格段に相違する事であった。
ベトナムの幼児は概して「受動的」で、周囲の大人が、幼児への主体性を培う条件が無味乾燥で、非常に希薄だと私は思えた。
園児の父母及び幼児教育現場の教諭は、飲食物を園児に与えて、彼らの生存欲求を満たすという下位の次元の面をこなす事で精一杯で、園児の精神的に自立させるという上位の次元の面に対して、まだ理解して居ない様に私には思えた。つまり、園児の体格の能力の向上だけでなく、精神面の能力の向上の為の指導方法が、現在のベトナムの幼児教育現場では欠けている様に、私は感じる。
殆どのベトナムの園児は、正式な水泳・お遊戯・音楽・美術等の学習方法を学ぶ条件と制度が揃って居ない。そして、彼らは両親に対して大変隷属的で、3歳から5歳に達した時でさえ、彼らの両親が彼らを大変甘やかして、まるで離乳食の時期の赤子の用に、彼らに口移しで食事を与えるようなこと、彼らを便所に受動的に連れて行き、彼らの排泄の介助をしたり、彼らに積極的に彼ら自身で衣服の脱着をさせずに、両親が彼らの衣服の脱着を介助するという有様で、園児は主体的な生き方を学ぶ機会を失っている。
結果的に、両親の子供に対する、「良かれと思い込んでいる自己満足的な行動」は、彼らにとって自立を妨げる余計なお世話に他ならない。園児はもう、ただ体格が大人より小さいだけの、独立した意思を持つ1個人なのである。
この憂慮されるべき事態は、日本の幼児教育現場と比較すると、天と地の差がある様に私は感じるのである。
従って、私はベトナムの幼児教育現場に対して、改善されて進歩的な日本の幼児教育を導入した、当園「巴保育園」は、「夢と希望を養育し叶える(=子供の夢を培おう)」の理念の下、園児を個別に激励するだけではなく、その園児のご父兄様と、その園児の担当学級の女性教諭「女性保育士(=旧称:保母さん)と女性幼稚園教諭」及び男性教諭「園長(先生)」が一体と成って夢を培いながら実現し、園児に学校に対するの楽しさ、自然に対する愛情を伝え、園児は将来的に自分の夢を、将来的に美しく高尚に実現可能な自信を持たせるように、私は努力して行く決意であります。
その他、現在ベトナムで生活をしている日本人子女の就学前の園児に対する日本語教育の環境は緊急な需要に対し、巴保育園の園児は、園児の祖国の言語である日本語を学びながら日本文化に接近し触れ、日本とは違うベトナムの国土に移住した園児の両親に従った園児は、当然、日本国外に居るのですが、恰も日本に居る感覚に浸れるベトナムで数少ない日本語による幼児教育を実施している学園です。
終わりに、巴保育園の私の将来への展望は、ベトナムと言う風土の上に、日本の教育方法を基本として、ベトナム幼児教育方法の長所を取り入れた、日越折衷(日本の方式は90%・ベトナムの方式は10%)の保育園を巴保育園の取締役会の首脳陣は、心血を注いで準備、開園しました。
私共――巴保育園の取締役会の首脳陣には、まだ多くの欠缺して居る部分――実際に当園が開園してからのその後の「巴保育園」の未来の歴史に関しては未知数ですので、そのことに対して私共は、最大限に自身の経験を生かして対応致しますが、至らぬ点に関しましては、各園児のご父兄様方と園各児の率直で貴重なご意見・ご要望も取り入れつつ改善・邁進して行く所存でございますので、当園「巴保育園」の理念の達成の為にもご協力の程を、宜しくお願い致します。
大庭 渉 (法学修士)
園長